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創造性の創造は既にそこに
既に創造性をコンピュータは獲得しつつある、と考えているところへ強烈な脳賛美家を知った。視点・論点 茂木健一郎 「創造性と脳の関係」である。 これに対し私は3つの疑問を提示しよう。とはいえ、まずは概要を紹介しよう。概要化に伴う曲学には注意したつもりだが、誤りを指摘して下されば幸いである。
学校教育は依然として、コンピュータが得意とする定型作業の成果主義が支配しており、ドリルでの独学でも渡り合える。しかし社会が求めているのは臨機応変な創造性で、コンピュータはとても苦手としているが、一般児童なら脳を持つので交流とリラックスで育つ。この考えの下に学校教育を改めるべきだ。
一つ目は、コンピュータの創造性である。郵便番号の自動読み取り機には原始的な人工ニューラルネットワークが使われている(参考:Google 検索: "郵便番号" "ニューラルネットワーク" )。要は脳を手本としたコンピューティングは研究されており、少しだが成果は存在する。ニューラルネットワークには認識手法の創造性が認められる、という意見も充分主張可能だろう、脳との違いは性能だけかもしれない。
二つ目は、交流の定型を学習する重要性である。校内の交流だけでは校内というバイアスから逃れることは至難の業だが、本や学問からは実に幅広い交流を学ぶことができる。西欧貴族社会やイスラム社会などと共に生きて行くには知識は必須で、疑問の余地はほぼ無い。
三つ目は、交流至上主義への警鐘である。確かに交流が生み出す力は強力ではあるが、大国、大軍、議会が小国、小軍、独裁に敗れ去ることも多かったと、歴史は我々に教えてくれる。アルバート・アインシュタインの奇跡の年、7年も引き篭もったワイルズが指し示したフェルマーの最終予想への道、どこからきたのか全く解らない定理を出し続けたラマヌジャンと、社交家たちが仰天する事例もあるし、コンピュータでも処理を局所化して成果を上げる事例は事欠かない。
自然世界における知性は、人類が持つ常識にとっては意外にも、人類や生命の尊厳にとって残酷な様態を成している。と、感じる今日この頃である。
2005 04 23 [人間講座-NHK教育, 教育, 日記・コラム・つぶやき, 映画・テレビ] | 固定リンク
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